くぃあなかりんの日常。

私を彩る、宝石と傷跡の詰め合わせ。綴る言葉が宝箱となりますよう。

組織で働いていると、ふと思うこと。

重なる時っていうのは、何かと重なるものでして。

 

昨日、私の担当事業が本番半ばで中止となりました。

理由は、同時期に同じ施設内で行う別事業の関係者にコロナ陽性者が出たこと、その他にも発熱者がいたこと。(発熱者の検査結果はまだ出ていませんが。)

 

ギリギリまで準備ができてなくて、もーやだ、いっそなくなれーって思ってたけど、本当になくなったら寂しいもので。やっぱ準備って本番のためにあるじゃないですか。何事も無駄じゃないって言葉、私は割と本気で信じてるけど、そうは言っても何のためにやってきたかと聞かれたらやっぱり本番のためなわけで。

 

準備自体も楽しければまだ良いけれど、全く楽しくも面白くもない苦手な事務作業が水泡に帰すと思うと…。なんと苦いことか。

 

何より、来てくれた人の楽しそうな表情、真剣な取り組みを間近で三日間見ていたから。三日間だってもちろん無駄じゃないし絶対何か持ち帰ってもらえたとは思うけれど、それでも成果物も中途半端なまま、最後の挨拶もなく、あんな風に流れ解散的になってしまったのが本当に悔しい。

 

年代も職階もそれぞれバラバラだけれど、きっとみんな私なんか想像もつかない激務で、判断の一つ一つにたくさんの人の人生がかかってて、毎日が緊張に満ちてて。そんな人たちが、五日間も時間を割いて来てくれていると思うと、他と比べてもすごく「重い」事業だったんだな、と、終わってから改めて思う。

ほぼ毎年同じように開催していて、私のアイディアなんか一つもなくて、毎年以前のものを踏襲してるだけで。でも本当に変える必要がどこにもない。私が考える余地なんかないくらい完成されていて、毎年満足度も高くて、おまけに他より特に失敗が許されない。みんな変えようと思っても変えられなかったんだろうな、と思う。PDCA回した結果、変える必要がなかっただけだからね。でも次世代も探さんとそろそろまずい時期ではあると思うけど。

 

 

何にせよ、去年中止だったことを思うと半分だけでも参加してもらえて良かった。でもオンラインで続行するとか、途中経過だけでも評価お願いするとか、色々あると思うんやけど。その辺は「私たちが決めることではない」そうなので。お金のこととか取り扱いとかややこしくなるし、規定もないので。ほーんと、頭固いな。知ってたけどね。ここ1週間で改めて実感したよね。そりゃ組織で動いている以上は、統一した認識・判断で動かなくちゃいけないことも分かるし、初めてのことはそれが今後全てのケースの前例になるから、慎重にいかなきゃいけないのも分かる。分かるけど、ここまでイレギュラーな時くらいはこっちで決めてサクサク動いてもいいのでは?こんな状況までマニュアルやら文例やらが必要なんですか。私一人の判断はさすがにダメだろうけど、そんな全部署・全管理職の同意が必要なんですか。

それって顧客のためになってんのかな。とか、思っちゃうけど、甘いのかなぁ。私には分からん。

 

 

あと、業務の縦割り感もめちゃくちゃ実感した。頑なに対応しない。それはこっちの仕事じゃないとか、平気で言う。いや、平時の時はさすがに慣れたし、混乱しないためにある程度指揮系統しっかりしなきゃいけないのは分かるんだけど…。いや、こんな時言うことか?みたいなのいっぱいあった。

たまたま私が所属総務課なのに事業担当でもあったから、余計に嫌なとこ・面倒くさいとこがいっぱい見えた。

おまけに学長は今日も呑気に出張、カーテンが開いてないだの部屋が寒いだのお茶が遅いだの…。んなこと言うてる場合か⁉︎⁉︎

 

私は一体誰のために仕事してるんだろう…。と、色々と考えさせられる1週間でした。選べるなら、どう考えても目の前の、期待をかけて来てくれる顧客のために働きたいんだけど。そのための最善を尽くしたいと思うのだけれど。

 

なんだかとても、窮屈です。マニュアル通りにすれば良いと言われても、規定もマニュアルも、なんだかんだいい加減なところが多い。どこまで私が判断していいのかがよく分からない。そういえばこの間職場で、土壇場での度胸と対応力を褒められた。他の場所でもよく言われるのだ、似たようなことを。それは、この職場ではあまり求められていないものなんだと思う。

 

↓こちら、クリックして応援いただけると嬉しいです‼