くぃあなかりんの日常。

私を彩る、宝石と傷跡の詰め合わせ。綴る言葉が宝箱となりますよう。

「ありのまま」ってなぁに??

綺麗にまとめたいなぁと思いながら、無理すぎるので書きなぐり。

最近、いろんな人と出会います。色んな世界と出会います。

 

そんな中から、思いつきを一つ。

 

 

私は、以下に挙げるこんな方たちと、お知り合いなのです。どれくらい近しい知り合いかというと、人によってだいぶと差があるのですが。

 

・オーストラリアで畑をしている、自然と調和して生きたい野生児系女性

・横浜で畑をしている、無農薬無添加食品生産者

・病院くそくらえな身体動作研究者

・呼吸法命、反ワク反マスクなボイストレーナー

・生まれたままの産声を追求するボイストレーナー

・「本当の好き&やりたい」を追求する、脳科学セッション提供者

etc…

 

 

他にもいろいろあるんだけど、これだけでも、なかなかパンチ効いてるでしょう。でね。

 

 

一見違うようで、もちろんそれぞれ主軸というか、視点や、世界観や、大事にしているものは違って、それが面白いのだけれど。

 

 

起点は全部同じなのかなって思ってるんです、私は。

 

 

今流行りの「ありのまま」ってやつ。

 

 

ただ、「何が」ありのままなのかってことが大事ですよね。

 

 

生物学的なありのまま、なのか、人間的、ホモサピエンス的ありのまま、なのか。とかね。身体的なことか、心理的なことか、とかね。

 

言ってて私もあんまりまとまってないんだけど…。なんとなく面白いな、と思ったので並べてみた。占い的に言うと、集合的無意識がそちらに向かっているのかな、なんて。いや占い的に、じゃないか。心理学的に、か?分からん。

意外と占いは心理学と親和性高いのよ。非科学的なのが好きな方はごめんなさいって感じだけど。タロットは基本的に集合的無意識を拾っていくのですよ。

 

直接知り合いではないけど、お芝居の界隈でもいろいろ見るなぁ。「自然に」「ありのままに」役として「ただそこにいる」というやつ。まあ「芝居」って行為であって手段なんじゃないかなとも思うので、演目によってどうするのか、目的によってどうするのか、みたいな部分はあるのかもしんないけど。

 

そもそも、私たちって普段ありのままじゃないじゃないですか。服着てるし。そういうことじゃないか。まあそれは極論としても、自然に生きている、その「自然」ってなんだろうね。「見られている」という自意識は芝居の敵だなというのは結構共通認識っぽい?けど、自意識を消すという行為は日常に近い「自然」なのかというと絶対違うよね。自意識ゼロの人って、なかなかいない。自意識がない「ありのまま」な人間は「自然」ではないからこそ面白いのかな。いや分からん。

ありのままってどこが起点の「ありのまま」なんだろうね。でも、どんなに手を加えていようとも、そこに現に「ある」時点ですべて「ありのまま」だとも言える。

 

 

…え?私何が言いたいの?

 

 

いや、別に何が言いたいわけでもないのだ。なんていうか、面白いなって思ったので書いてみた。

 

 

いろいろ放置しまくってるけどね、MBTIとかも、書く気はあるんですよ。進んでないだけ。具体の人の分析とか面白そうだなぁ。

ホロスコープ+MBTI+ウェルスプロファイル+体癖に私目線トッピング、的な~?

他人から自分の印象聞くのって単純に楽しくない?私は楽しい。そして言いたい。笑

 

 

そのうち紹介記事書いていこうかな。まあ私が紹介したところで、感はあるけど。思わぬ界隈に繋がることが、ある…かもしれない。知らんけど。書いて欲しい人名乗りを挙げてくれ。ついでにホロスコープ読むよ。やる気が出れば、だけど。

ああ、やりたいことは増えるのに全く進まない…。とりあえず時間泥棒に弱すぎるので打ち勝て自分。何になるとか、意味あるかとか、うまくやるには、とか…。頭にはめちゃくちゃよぎるけど、根本的に目標立てて動くのに向いてない性質なのだ。やりたい時にさっさとやろ。

 

↓こちら、クリックして応援していただけると嬉しいです!