くぃあなかりんの日常。

私を彩る、宝石と傷跡の詰め合わせ。綴る言葉が宝箱となりますよう。

ハムレット物語の記録②

こんにちは、かりんです。昨日書き進めていたこの記事、夜中に公開直前で下書きを保存せず閉じてしまい絶望しておりました。データの復旧もできず、記憶を頼りに何とか再度書き上げました。そんな苦労なんかも感じながらお目通しください笑。

 

 

さて、こちらの記事の続きです。↓

oha-k-arin.hatenablog.com

 

 

思うように稽古が進まずモヤモヤしていたところから、人任せにせず自分から行動せねばと心を入れ替えた矢先。また1人の降板が決まってしまったのです。この時点で本番から約2ヶ月前。幸か不幸か、稽古はまだほとんど進んでいない状態でした。

 

 

この事態を知るほんの少し前、私は演出さんとゆっくりお話する機会がありました。演出のしんどさ、演出兼出演者であることの大変さ、自分が「出演者側」であることに対してのモチベーションについて。話を聞く中で、きっと私が想像している以上に演出という立場、そして出演者を兼ねるということが重荷になっているのだと感じました。

正直自分が演出を変わった方が良いのではないか、とさえ思った。それは彼女に任せられないとか、自分がやった方がうまくいくとか、そういったことでは全くなくって。

 

 

人間誰しも、モチベーションには波があります。モチベーションが向かう先も、人によって違う。時期によっても違う。それはごくごく自然なことで。

私はその時も今でも、目の前の面白そうなことにモチベーションの矢印を全振りします。そして私にとっての面白そうなことは、第一義的に「自分が、日常の繰り返しではできないことを、実行する」ことです。だからこの時、私はこの作品に時間とエネルギーを注ぐだけのモチベーションがありました。

 

 

けれど全員がそうとは限らない。「モチベーションが低い」ということではなくても、他にしたいこと・やるべきことが多い人は、相対的にこの舞台にかけられる時間やエネルギーは減ってしまいます。時間も体力も有限なのだから。その中で、自分が割けるもの以上の役割を担うことになったら。

私なら、出演も含めて「舞台の制作側に立つことそのもの」が嫌になってしまうと思います。仕事でもなくただ好きでやっていることが重荷になってしまったら、やる必要がなくなってしまう。それを超えてでも得たいもの、その先の楽しさがあるなら良い。だけどもしもそうじゃなかったとしたら。彼女はこの作品が終わったあと、ここから去ってしまうのではないだろうかと、そんな思いが胸をよぎりました。

 

 

私にとっては、自分が思う「面白そうなこと」に関わってくれる仲間が減ってしまうことが1番寂しいし避けたいことでした。もちろん本人の意思を曲げてまで、と思っているわけではありません。誰しも自分の人生があり、自分にとっての大切なものがありますから。ただ、この作品が舞台を去る理由の一つになって欲しくはなかった。そうなるくらいなら、大変なことは私が全部引き受けよう。引き受けてもそう苦ではないくらいには、私の矢印はこの作品に向いていました。

 

 

とはいえ、本人からの申し出もないのに勝手に演出を変わることはできません。だから最後の決定権だけはなくとも、それ以外の自分が考え得る演出の仕事は言われなくてもこちらから手を出そうと決めました。そうは言いながらも、どこまで果たせていたかは疑問ですが。

もともと稽古が始まる前に、演出さんから個人的に「演出補佐をお願いしたい」と言われてはいました。ただ他のみんながそれを知っていたわけでもなく、また補佐というものがどこまで手出しをしていいのかも分からずほとんど何もしていませんでした。そのことを改めて思い出し、ここまで自分がいかに何もしてこなかったかを痛感しました。ただ落ち込んでいる時間もない。ここから私はフルスピードで動き出すことになります。

ハムレット物語の記録① - くぃあなかりんの日常。の最後の時期と重なっているかもしれません。

 

 

そこへ出演者二人目の降板。逆境に思えましたが、これが作品全体としては大きな転機となりました。キャスティングを変更することにしたのです。

この作品は登場人物が少ないこともあり、登場人物が重要な役割を担っています。そのため、主演以外は負担の大きさもほぼ横並びです。しかし、登場人物の「立ち位置」は当然ながら違っています。

当初、降板した方の配役は主人公ハムレットの母ガートルード。そして演出さんの配役はハムレットの敵クローディアスでした。演出としては中立、あるいは主人公側に立って全体を見渡す必要があり、一方で出演者として真逆に立つ必要もある。これも、演出さんの負担の一つになっていたようでした。その点、ガートルードは主人公の母であり敵の妻でもある。つまり中立に近い立場です。幸い、演出さんの中でガートルードの解釈はかなりはっきりしていたので、相談の上演出さんにガートルードを、そして新たに入ってもらう方にクローディアスをお願いすることにしました。

これで演出さんの負担の一欠片は解消できたのかなと思ったのですが・・・。ここから彼女はさらに日程を合わせることが難しくなり、相変わらず稽古は難航することとなるのでした。

 

 

もう一点、懸念材料がありました。

曲ができあがってこない。

作曲と主演を同じ方が兼ねていること、作曲が初めてであること、この時期にご本人の仕事が立て込んでいたこと等があり、かなり大変だったと思います。

ただミュージカルは性質上、曲なしでそのシーンの演出や芝居を先に完成させるというのは不可能に近いのです。おまけに作曲はやる気だけでできるようなものでもありませんし、作詞も含めるので脚本と同じ人が担当する方が齟齬がないということもあり、他の人が肩代わりすることができません。

 

 

なんとかできることはないかと考えた結果、私は譜面起こしをすることにしました。

正直、私が担当することで、効率自体はぐっと落ちたと思います。私は楽譜のルールはしっていますが読めるわけではありませんし、相対音感もかなり弱いです。半音違いであればどっちの音が高いのかも分からないレベルで、きっとご本人がやった方がかかる時間は短かったはず。それでも私が引き受けたのは、譜面起こしをしている時間を違う曲の作曲に当てて欲しいと思ったからです。それほど切羽詰まっている状況でした。

 

作曲さんから送られるアカペラの歌を何度も何度も聞き、一音ずつ譜面に起こしていく。♯や♭が多く、最初はかなり時間がかかりました。しかしそれも徐々に慣れていき、少しずつかかる時間が短くなっていきました。ここに、私にとっての思わぬ副産物、収穫がありました。

 

もともと私はピアノを習ってはいたのですが、譜面と音が全く結びついていませんでした。楽譜を見て音の上がり下がりの幅は理解していても、それが実際どんな音なのか、感覚としては分かっていないのです。その感覚が、少しずつ育っていく感覚があった。

だからといってすぐに自分の歌に反映させられるわけではありません。それに分かったからといって変わるわけでもない。ただ、分かっていないことには実践もできません。たった4曲の譜面起こしだけでどれだけ変わったかと言われると微妙ですが、続けたら成長に繋がりそうな手応えが、確かにありました。

(そんなわけで、今もこれは地道に続けています。何か譜面起こしのご希望があればご相談ください😊)

 

 

こうして曲のメロディラインやサイズが完成すると、ここから本格的に私の仕事が始まります。振付、です。

もともとお願いしたかった方が早々に降板となっており、どうしたものかと思っていたのですが…。なんとなく、ここは私の仕事だろうな、と直感的に思いました。

別に振付をしたことがあるわけでもなければ、ダンスが特別上手だということもありません。正式に「振付担当」だったわけでもありません。でも他で手いっぱいの方に任せるという選択肢は私の中にはありませんでしたし、いきなり高校生に丸投げするというのも気が引けました。

(やったらきっと作れる子だとは思うのですが、いかんせん時間がなく振付がしづらい曲でしたので。)

 

 

ただ、振付と言いながらも実質は曲中の演出に近いようなものだったので、私が土台だけを作り、稽古時に実際に動いてもらいながら固め、演出さんに確認してもらい最終決定、という流れでした。出演者からするとまどろっこしかったことでしょう。普段の作品だと、きちんと出来上がった振付を覚えたら完成、ですから。もしかしたら、手抜きのように思われていたかもしれません。

 

 

これには一応、私なりの理由がありました。各登場人物の「気持ち」を動きに反映させたかったのです。

ミュージカルでは、歌が登場人物の気持ちの変化を表すことが多々あります。制約があるとそれが難しくなったりすることはありますが、今回の作品では脚本兼作曲さんが「ミュージカルらしさ」を意識していることを聞いていました。

(単純にご本人がそういうものがお好きだということもあるでしょうが。)

だから歌だけでなく動きも、それに沿ったものにしたかった。そして登場人物の気持ちを一番知っているのは、私ではなく各出演者です。そのため私は動きを事細かに決めることなく、たびたび「好きに変えてくれていいからね、好きに動いてね」といったことを口にしていました。無茶ぶりともいえるもの、かもしれませんが、これは出演者が少数で、かつ全員の技量を私が信じていたからこそできたこと、です。きっと任せたほうが良いものができると、そうすることを意識的に選びました。

(ただそれは、後々出演者でもある自分自身の首を絞めることにもなるのですが…。)

 

 

こうして、私たちはやっと前に進み始めました。

ただし演出さんの不在に加え、出演者二人が稽古に参加できない状態は、相変わらず続いていました。

 

↓こちら、クリックして応援いただけると嬉しいです‼