くぃあなかりんの日常。

私を彩る、宝石と傷跡の詰め合わせ。綴る言葉が宝箱となりますよう。

関係性を創る、ということ。

お久しぶりです。かりんです。今日は久しぶりに、2年以上ぶりに、大学時代の学科のメンバーで飲み会をしました‼︎‼︎

 

大学時代に特に仲の良かったメンバーとはちょこちょこ会ったりしていたのですが、いわゆる「いつメン」的な人以外と会うのは卒業以来。

なんなら今日、私的「いつメン」は誰も参加していませんでした。私1人(笑)

 

 

なので、実はちょっぴり緊張していたのですが…。

 

 

会ったらみんな全然変わっていなくて。でもちょっと私の知らない人生経験を積んだみんなで。

 

 

話を聞くのも、話すのも、とーーっても楽しくて、時間が経つのがあっという間‼︎ほんと、全然足りない。もちろん、在学時代の思い出話をするのも楽しくて。

 

 

今日はそんな、たわいもない思い出話の中の一コマから。

 

 

「学科の人みんな、それぞれ個人で立ってるから居心地良かったよな。授業も一緒とかじゃなくてバラバラで取ってたし。かりんたちのとこは特に自由やった気がする。あれ、ほんまに仲良いんやんな?みたいな。」

「うん。これ何回も言ってるんやけど、◯◯なんて、関東に引っ越したことも全然言ってくれへんかってんで‼︎」

「でも言わへんかったからって、それで関係切れるとかないやん。らしいな、で済むやん。」

「確かに。ネタにしてこすってはいるけど。」

(全て意訳です。)

 

 

実は、話しながらも、あんまりピンときてなかったんです。「え、そんなことで関係切れることあるの…?」みたいな。

でもきっと、本当にそれだけで関係が切れることがあるのか、ないのかとか、そういう話じゃなくて。

 

 

もともとが、言わなくても別にいーやって思える関係性だったってことなんですよね。

そしてそれを「仲が良い関係」だと捉えるか、「引っ越しを教えてもらえないくらい薄い関係」だと捉えるか、という話なんだと思うんです。

 

 

 

もっと言うとそれは、私がどう捉えているか、という話でしかなくて。

 

 

 

 

引っ越したことを教えてくれなかった友達が、私のことをどのくらい仲が良いと捉えているのか、私には分かりません。

「引っ越したことを教える」ことが、友達と付き合う上でどのくらい重要な位置にあるか、という価値観が違う。だから、私にとってそれはそこそこ重要だなと思うけれど、その友達にとってはそんなに重要じゃないんだろうな、と予想して、私は彼女と「友達」を続けているのです。

 

 

 

これが、「友達なら生活環境が変わったら当然教えるでしょ」という価値観を持つ人となら。そしてその人が、そのことを「当然」だと思っている人なら。

 

 

 

すぐに関係性が切れることはなくても、その後ギクシャクしてしまうかもしれません。なぜなら「友達なら当然教えるべきことを教えてくれなかったから」。あんまり仲が良いと思われてないかも、と落ち込むかもしれないし、逆に腹を立てる人もいるかもしれません。

 

 

でも、相手と自分の価値観が違うことを分かっていれば、きっとそんなに落ち込むこともないでしょう。もしかしたら、仲が良いからといって、自宅の場所は安易に教えるべきではない、と思っている人かもしれない。リモートで会えるし、自宅がどこかなんてどうでも良い、と思っている人かもしれない。

 

 

大きく価値観が違う人って、そもそも仲良くなる機会が少ないですよね。だけど、些細な違いで、今の友人を無くしてしまうのは、やっぱりちょっともったいない。

それに、社会生活では、価値観が違いそうな人と仲良くやらなきゃいけないこともあったりする。

 

 

 

そんな時に、相手からの景色はどんな風なのか。少し引いて見てみると、違う風景が見えてくるのかもしれません。

 

 

 

過去は美化するものだというけれど、私の大学生活は本当に宝物で、特に学科の人との時間はどこを切り取っても何だかキラキラしています。30人くらいで、決して多くはないけれど、簡単に「みんな仲良しいつメン!」と言えるほど少ないわけでもない。一方的にイラっとすることや、「ここは合わない、理解できない」と思うこともないではありませんでした。

 

 

 

それでも、もれなく全員と話したり、ご飯食べたり、今でも集まったりするような関係性を築くことができたのは、きっとみんながお互いの価値観を、尊重していたからなんだと思います。価値観っていうと大袈裟に聞こえちゃうけど、本当にちょっとしたことで。自分の考えを押し付けない、相手の話をちゃんと聞くことのできる、あったかい人たちの集まりだったんだな、と、改めて思います。

 

 

…社会に出たからこそ、余計に。

「それぞれに正義がある」「仕事に情熱を持っている」とか、どうとでも言えちゃうけど。それでも、相手の話を聞けないと、生まれたはずの良いものも、生まれたはずの良い関係も、消えちゃうんじゃないかなぁ、なんて。

 

 

社会人三年生は、今、思うのです。

 

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