くぃあなかりんの日常。

私を彩る、宝石と傷跡の詰め合わせ。綴る言葉が宝箱となりますよう。

「盲目的な恋と友情」感想文

もし、自分にとっての大切な人が、この世にたった1人しかいなければ。

 

 

 

私も、こんな風になってしまうのだろうか。

 

 

 

そんなことを、ふと考えた、小説「盲目的な恋と友情」読了後の夜。

ネタバレありき、読んだ人にしか伝わらないであろう読書感想文。夏休みの宿題としては0点のそれを、つらつらと書き連ねてみる。ただいつまでも書き終わらない気もするので、とりあえず出してちょっとずつ書き進めていこうかな。

 

 

「恋」パート。

 

 

鮮烈な恋の始まり。最後のトリックのためもあってか、全編通してかなり主観的な目線で描かれており、だからこそ、その盲目さが際立つ。実際のところ、茂実は本当に蘭花に恋をしていたのかどうか、いつからなのか、それすらかなり怪しい。菜々子が、その怪しさが正しいことを証明してくれる。

 

 

この物語の元凶は、元を辿れば菜々子だ。

 

 

菜々子の動向やその胸の内は、茂実を盗られた(というか最初から手に入れてすらないのだが)、蘭花の目線でしか描かれない。だから、それが本当に正しいのかすら、分からない。ただ分かるのは、蘭花が「そう」受け取ったという、ただそれだけ。

 

 

蘭花の目線からは、茂実と、彼の恩師の妻である菜々子が寝ていたということ、そもそも蘭花と付き合い出したのも菜々子がきっかけらしいということ。そしてそれを茂実は隠しているということ。それから、茂実がかなり菜々子に依存しているということ。

ただ「友情」パートの留利絵を見ていると、蘭花のその受け取り、解釈すらも危ういように思えてくる。いや、小説はフィクションなのだから書かれていることが事実とするしかないのだけれど、それすら。一登場人物の見立てでしかないというのが、面白い。

 

 

こんなことが、現実に、身の回りに起きていたら。私の友人だったら、間違いなく止めているだろう。どう考えたって茂実みたいなのと一緒になったって幸せにはなれない。もし私が当事者だったら、きっと誰かが止めてくれる。止めてくれると信じられる友人達がいる。けれど。

 

 

蘭花にだって、いたのだ。そういう友人達も、親も。愛されて育ってきた子。それでも。どうにも逃げ出せなくなって雁字搦めになって、最後には相手に死んでもらうしかなくなった。そういう、どうしようもなさは、一体どこから来るのだろう。分からない。分からないけれど、分からないなりに追体験できるのが、小説の良いところで。なぜかは分からなくとも、私はそれを理解してしまうのだ。蘭花を通して。ああ、これは盲目になっても仕方がない、どこへもいけなくなっても仕方がない、と。

不思議で、とても面白くて、同時にとても怖いことだ。そんなこと、身の回りに起きてもらっちゃ困るな、と。

 

 

 

そして後編「友情」パート。

 

 

 

後編を読む事で、それぞれの視点での捻じ曲がった部分や、空白の部分が補完されていく。彼女が泣いた本当の理由。喧嘩の理由。それから、彼の死の真相と、彼女の最後の裏切り。蘭花は、最後のボタンを違えたばかりに裏切りにあったように見える。けれど彼女らの前には、もうずっと前から綻びがあったのだ。

 

 

もし、と思う。

 

 

もし、私に大切な人がたった1人しかいなかったら。こんな風に、身も心もボロボロになる羽目になるのだろうか。想像もできないけれど、だからこそ、考えるのだ。もし、と。