と、いうことを、学生時代から延々と、しかもど真剣に言い続けております。かりんです。
雑談にするのは日常茶飯事、大学の演習で話題にしたこともあります。卒論も、実はそこから派生しました。セクシュアルマイノリティ云々と題してはいましたが、そこが起点ではなくて。自己満足の塊みたいなものを生み出してたなぁ…。
周りが優しい&変人揃いなので、みんなまともに返してくれるわけです。なんて優しい世界でしょう。いや、内心呆れていた人もいるかもしれない。
それは、「好き」だけに留まることではなくて。
感情って何だろうって、ずっと思ってる。心で感じるもの。心は実際にはないから、現実的に言うと脳で、身体で感じるもの。それを、共通の「言語」に置き換えるのって、難しいなって思うのです。
だから、自分が感じている「何か」を「それ」だと思えば「そう」で。だけどそれは、相手の「それ」と同じかどうかは分からなくて。
だから、私はずっと、「それ」にどの言葉を当てはめたらいいか、迷っているのだと思う。
広義の「好き」は、世の中の全てを「好き」「どうでもいい」「嫌い」に分けた時の好き。
なんだけど、もう一つ自分の中に、狭義の「好き」があるの。
例えば友達。
友達である理由がはっきり言える人と、言えないけどいるのが当たり前みたいな人と、理由も言えないしいて当たり前でもないけど、訳もなく一緒にいるだけで嬉しい人。
三つ目が、私の中の狭義の「好き」。
なんだけど、それを「恋」と呼ぶ人もいるらしい。だから、なんとなく居心地が悪かったんだと思う。私の友達は圧倒的に女性が多くて、狭義の「好き」も女性だから。恋愛対象も女性なのかな?って。置き所がないというか。
でも、人によるんだよね、本当に。私の思う狭義の「好き」を、恋愛だと思わない人もいる。だから結局、感情に名前をつけるのは自分なんだなって。
だから、私は勝手に、「狭義の好き」っていう表現にしてみたらしっくりきた。だからそう呼ぶことにしてみた。
やっぱり恋愛の「好き」はよく分からない。たぶん、まだ名前を付けてないからだと思う。輪郭がないと、ぼんやりする。色と同じで。いつか、私が「狭義の好き」と名付けたものが恋だと思う時が来るかもしれないし(そしたらかなり大勢いることになるんだけど)、新しい感情が現れるかもしれないし、すでに体験したどれかが恋だと思う時が来るかもしれない。
だけど、他人のそれと自分のそれを、同じだと思って話したくないなと思う。相手のそれはそれとして、そのまま受け止められる人でいたいなと思う。とても骨が折れる作業だけれども。
…なんてことを、つらつらと思い出すなど、してみた。
急に思い出したのは、名前のつかない、何ともつかない気持ちが多くなってきたから。総じて、キラキラ。総じて、ぐるぐる。いっぱい、グラデーション。
でもその想い自体が、楽しい。嬉しい。きっと、前触れ。予感だ。
感情って、面白い。
↓こちら、クリックして応援いただけると嬉しいです‼