くぃあなかりんの日常。

私を彩る、宝石と傷跡の詰め合わせ。綴る言葉が宝箱となりますよう。

やれると思えば、意外とやれる。

小さい時、身体を使った遊びってしませんでした?

唇ぶるぶるーってさせるやつとか、舌でルルルルーってするやつとか、足の指動かすとか、眉毛片方動かすとか、指パッチンとか、しゃりんがん‼︎ってやつとか…(私しゃりんがんが何かは知らないんですけどね)

 

 

私は、こういうの全然やらなかったんですよ。できないから笑

 

 

 

というか、できないと思い込んでたんですよね。あとやる必要ないってのも思ってたかも。できて何の意味があるの?って感じだし、むしろ行儀悪い気持ち悪いって怒られることが多かったから。

 

 

 

サッとやって何となくできることとか、面白いって自分が思えることっていうのは、やっぱり続くから成長していくじゃないですか。

私の場合はそれが、本を読むことだったり、文章を書くことだったり、あれこれ頭で考えたり空想したりおしゃべりしたりっていうところに全振りしてるんですよね。「言語・イメージ」的な部分かな。論理的に説明するというよりは、まんま言葉に落としこんでいく感じ。説明は苦手笑

 

 

 

身体を動かすことは、基本的に全般苦手。もともと苦手なのもあるし、地道に努力するってことをしてこなかったこともあって、できないまんま今に至っている感じ。

割と冷めた子どもだったしプライドも高かったから(今も高いかもしれない…)、それをすることに何の意味があるのかって思ってやろうとしてこなかった。

今思えば、じゃあ空想することに何の意味があんのかって感じなんだけど。

 

 

 

一輪車とか、縄跳びとか、竹馬とか、そういうのも。できるようになるまで、転びながら努力する楽しさを見出せなかった。

あと、絵とかもそうかもしれない。できないって思ったら、もうやりたくなくなるんだよね。

 

 

で、今ですよ。

大人になってから、意外とそういうのが意味なくなかったんだな、やっときゃ良かったなって思うことが増えました。

リップロール、タングトリル。歌に良いらしい。

足の指は、動く方が身体が支えられるし健康らしい。

バランス感覚。

縄跳びに至っては、中学で実感しました、やっときゃ良かったって。外練で二重跳び50回できたら休憩〜とかね。できねーわ。いっつも最後まで残ってた。

そう、部活もそうだったな。3年間、最後まで3ポイントは届かなかった。同じ身長の子は入れてるのに。

 

 

 

どーせできるわけない、意味ないってやらなかったことはいっぱいあったけど、最近、そんな「できなかったことたち」にちょっとずつ挑戦しています。

リップロールは、声出したら全然できない。でも出さなければできるようになった。タングトリルは一瞬だけ。これでも進歩。一瞬だってできる気がしてなかったもの。

足の指も、1週間地道にやったらちょっとだけ動くようになった。時々つるし、小指が生まれたての子鹿みたいにプルプルしてる。たぶん1ヶ月あったら開けるんじゃないかな。

しゃりんがんはできなくていいのでやらないけど。

 

 

いや、マジで足の指が動くなんて全然信じてなかったの。パーできる人とできない人は人種が違って、親知らずの有無的な感じだと思ってた。人間ってすげー。頑張ったら外国人みたいに眉毛も耳も動かせるんじゃないか。

 

 

すーーーごくちっちゃなことなんだけど、私の中では大発見です。ノーベル賞ものです。

知識と体感は全然違うから。絶対できないと思ってたことができるようになるってすごい。

なんか、人間って意外となんでもできるんじゃないかな、なんて、思ってみたり。

とっても単純な人間です、ええ。

毎日、面白く生きていきたいものですね。

 

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