くぃあなかりんの日常。

私を彩る、宝石と傷跡の詰め合わせ。綴る言葉が宝箱となりますよう。

「ありのまま」ってなぁに??

綺麗にまとめたいなぁと思いながら、無理すぎるので書きなぐり。

最近、いろんな人と出会います。色んな世界と出会います。

 

そんな中から、思いつきを一つ。

 

 

私は、以下に挙げるこんな方たちと、お知り合いなのです。どれくらい近しい知り合いかというと、人によってだいぶと差があるのですが。

 

・オーストラリアで畑をしている、自然と調和して生きたい野生児系女性

・横浜で畑をしている、無農薬無添加食品生産者

・病院くそくらえな身体動作研究者

・呼吸法命、反ワク反マスクなボイストレーナー

・生まれたままの産声を追求するボイストレーナー

・「本当の好き&やりたい」を追求する、脳科学セッション提供者

etc…

 

 

他にもいろいろあるんだけど、これだけでも、なかなかパンチ効いてるでしょう。でね。

 

 

一見違うようで、もちろんそれぞれ主軸というか、視点や、世界観や、大事にしているものは違って、それが面白いのだけれど。

 

 

起点は全部同じなのかなって思ってるんです、私は。

 

 

今流行りの「ありのまま」ってやつ。

 

 

ただ、「何が」ありのままなのかってことが大事ですよね。

 

 

生物学的なありのまま、なのか、人間的、ホモサピエンス的ありのまま、なのか。とかね。身体的なことか、心理的なことか、とかね。

 

言ってて私もあんまりまとまってないんだけど…。なんとなく面白いな、と思ったので並べてみた。占い的に言うと、集合的無意識がそちらに向かっているのかな、なんて。いや占い的に、じゃないか。心理学的に、か?分からん。

意外と占いは心理学と親和性高いのよ。非科学的なのが好きな方はごめんなさいって感じだけど。タロットは基本的に集合的無意識を拾っていくのですよ。

 

直接知り合いではないけど、お芝居の界隈でもいろいろ見るなぁ。「自然に」「ありのままに」役として「ただそこにいる」というやつ。まあ「芝居」って行為であって手段なんじゃないかなとも思うので、演目によってどうするのか、目的によってどうするのか、みたいな部分はあるのかもしんないけど。

 

そもそも、私たちって普段ありのままじゃないじゃないですか。服着てるし。そういうことじゃないか。まあそれは極論としても、自然に生きている、その「自然」ってなんだろうね。「見られている」という自意識は芝居の敵だなというのは結構共通認識っぽい?けど、自意識を消すという行為は日常に近い「自然」なのかというと絶対違うよね。自意識ゼロの人って、なかなかいない。自意識がない「ありのまま」な人間は「自然」ではないからこそ面白いのかな。いや分からん。

ありのままってどこが起点の「ありのまま」なんだろうね。でも、どんなに手を加えていようとも、そこに現に「ある」時点ですべて「ありのまま」だとも言える。

 

 

…え?私何が言いたいの?

 

 

いや、別に何が言いたいわけでもないのだ。なんていうか、面白いなって思ったので書いてみた。

 

 

いろいろ放置しまくってるけどね、MBTIとかも、書く気はあるんですよ。進んでないだけ。具体の人の分析とか面白そうだなぁ。

ホロスコープ+MBTI+ウェルスプロファイル+体癖に私目線トッピング、的な~?

他人から自分の印象聞くのって単純に楽しくない?私は楽しい。そして言いたい。笑

 

 

そのうち紹介記事書いていこうかな。まあ私が紹介したところで、感はあるけど。思わぬ界隈に繋がることが、ある…かもしれない。知らんけど。書いて欲しい人名乗りを挙げてくれ。ついでにホロスコープ読むよ。やる気が出れば、だけど。

ああ、やりたいことは増えるのに全く進まない…。とりあえず時間泥棒に弱すぎるので打ち勝て自分。何になるとか、意味あるかとか、うまくやるには、とか…。頭にはめちゃくちゃよぎるけど、根本的に目標立てて動くのに向いてない性質なのだ。やりたい時にさっさとやろ。

 

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「ささやかな」「幸せ」って何だろうね。

 

お題「ささやかな幸せ」

そろそろなんか書くか~と思ってお題スロットなるものを開いたら、こんなお題。おお、なかなか書きやすそう。

 

幸せって、人によって違うと思うんだよね。当たり前のことだけれど。私の幸せって何だろう。

 

 

出かける時に天気が良いこと。

茶店で一人ぼーっとしている時。

友達と飲んでキャッキャしてる時。

定時に帰れた時。

美味しいものを食べている時。

なかなか会えない人と会って話ができた時。

歌を聴いたり、歌ったりしている時。

お芝居をしている時。

ダンスをしている時。

可愛い物を見つけた時。

誰かの良いところを見つけた時。

頼りにされた時。

褒められた時。

 

 

これってささかや?大きい?きっと人によって違うよね。

 

 

私は一人で実行できることはささやかな幸せだと思っている。いつでもできるから。

誰かがいないとできないことは、ささやかじゃないなって思う。予定が合わないとできないしね。あと、私の幸せは=ワクワク、なことが多い気がするな。まあそうじゃないこともなくはないけど。「この後どうしよう?」とか「これからどうなっていくんだろう?」っていう、未来に対するワクワク。それを感じる瞬間が、幸せの源な気がするなって、書いていて思った。そう言うと何か大きな期待のように見えるかもしれないけれど、定時で帰って家で何しよう?って考えるのも未来へのワクワクだしね。

 

 

逆に、達成感とか満足感とかで「幸せ」って思うこと、あんまりないかも。もちろんそれはそれで嬉しかったり、あー良いなって思ったり、何かしらポジティブな感情は持つんだけどね。「あ~~~幸せ!!!」とは思わないんだよね。もし思う人いたら、ちょっと話を聞いてみたいな。幸せって、どう定義するんだろうね。難しいね。色んな人の「幸せ」観、聞いてみたいな。

 

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「引き寄せの法則」の正体。

最近、めちゃめちゃハッピーな毎日を送っております。人生って楽しい。

(こないだ友達が、Nはすぐ大きくまとめたがるよねって言ってた。言ってるその子もINFP。)

今日は、楽しい毎日を過ごすちょっとしたヒントになれば良いな、というお話。

 

 

自己啓発好きな方やスピリチュアル系に縁のある方にとってはすっかりお馴染みの「引き寄せの法則」。最近は、そうでなくとも言葉だけは割と浸透してきている気がするのは、私だけでしょうか。色んな人が色んな表現の仕方をされていますが、すっぱりきっぱり端的に言ってしまえばと「信じていれば叶う」「良いものは良いものを引き寄せる」と言ったところ。ディズニーかい。もしくは宗教。ただ、実際それで幸運を「引き寄せている」人がいるのも確か。

 

 

 

摩訶不思議な引き寄せの法則

あなたは信じますか?それとも信じませんか?

 

 

 

身近な、親しみやすいところからいきましょうかね。「笑う角には福来たる」。これは、だいたいの人が頷けるのでは?先人達が残したことわざですしねぇ。笑顔でいれば、笑顔の人が寄ってくる。類は友を呼ぶ、とかもありますね。あとは、付き合うのはだいたい同じレベルの人だ、という言説があったり。良いも悪いも、似たもの、同じもの同士が引き合う。経験則で、何となくそうかな、という気がしませんか?

 

 

私ね、今でも覚えてることがあって。友達と同じパン屋さんの面接に行って、「あなたは自分を、運が良い方だと思いますか?悪い方だと思いますか?」って質問されたんです。私は「悪い」って答えて友達は「良い」って答えたらしいんですけど、案の定友達だけ受かりました笑。それ以外にも理由はあったかもしれないけど、この答えが決定的だったんだと思います。毎朝、焼き立てパンで小さな幸せを届けるパン屋さん。自分が幸せ感じてないと、お客さんに幸せは届けられないだろうな、と、今なら思います。

 

 

では次。この「引き寄せの法則」が、科学的に証明されていたら、面白いと思いませんか?

 

 

脳科学、という分野があります。マーケティングコーチング、カウンセリングなんかでもよく使われるものです。あと心理学とも縁があります。まあ、これもよく聞くかな。どうして「引き寄せ」というやつが起きるのか、これでちゃんと説明できちゃう。

 

 

 

脳には「ホメオスタシス(恒常性)」ってやつがありまして。脳というか、生物全般。同じ状態が心地良い。大きな変化は嫌なんです。例え良い変化であってもね。側から見たら良い変化なのに鬱になる、とかは分かりやすいけど、本人も「良い変化」「嬉しい」と認識してるのに脳は嫌がるんです。厄介でしょ。なんといっても顕在意識2割、潜在意識8割ですから。よく聞くでしょ、潜在意識。とっても大切。だから似たものは引き合うんです。「違うもの」がそばにあるって、それだけで変化だから。

 

 

あとね、脳は見たいものしか見てないんです。これマジ。目には入っていても、全部の情報を平等には取れない。だから、自分が信じているものがよく目に入る→それが自分の「普通の世界」だと思う→恒常性の機能で同じものが寄ってくるって感じでね。自分の信じてるものが、脳の機能で勝手に強化されていくんです。で、その結果として「引き寄せの法則」が発動するという。面白いね〜〜〜〜

 

 

でもね。

 

 

これ、他の人からしてもそうなんですよ。

 

 

 

笑顔でいることが大事とかって言うけど、それって笑顔でいたら笑顔の人が寄ってくるから、自分も心から笑顔になれるって仕組み。でも、いっつも人の悪口ばっかりの人といる時にまで無理して笑顔でいることない。だってその人は勝手に悪口言う人を引き寄せてる。てことは、自分が相手に引き寄せられた「悪口ばっかりの人」になるか、相手が自分に引き寄せられた「いつも笑顔の人」になるか、お互い引き合わずに離れるかの3択しかない。そこで、相手が引き寄せてもないのに笑顔で相手の側に居続けるって、お互いにとって「異質な存在」にしかならない。だから、無理してそこに笑顔で居続ける必要なんかないんです。世の中が不幸だと信じている人にはそういう人しか見えてこないし、そういう人同士でしか分かり合えないし、そこでドンパチやる羽目になってたりする。

 

 

そこに、ずっと居続ける必要、ないよね⁇

楽しくってニコニコな方が良くない?

 

 

私は頭でっかちだけど、同時にお気楽能天気、脳内お花畑な人間でもあるので。なんか必死で我慢したりやりたくないことするの嫌なんだよね。例え将来の自分のためであっても。幸せだなー幸せだなーって毎日自分の小さな幸せを噛み締める人生の方が良い。それしてたらね、勝手に向こうから大きな幸せがやってくるらしいの。本当かな?どうかな?ワクワク。

 

 

 

日本憲法では信仰の自由が保証されています。信仰も、信条も、思索も、思考も。どんなに現実が不幸でも、貧しくても、頭の中だけは常に自由。物の見方、捉え方で、世界って180°変わる。捉え方が変われば、現実すらも動いていく。さあ、あなたはこれから、何を信じますか⁇

 

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他人を知る、自分を知る。〜体癖論から〜

論理的に考えるのが、あまり得意ではない。

 

 

…と、いうことに気がついたのは、大学を卒業してからだ。

 

 

自分で自分を論理的な人間だと思い、約20年間を生きてきた。それは、論理的な人間でいたいと思い続けた自分の、努力の賜物なのだと思うから、後悔はしていない。けれど、本能的に、ごく自然に論理的な人間かというと、違う。本能的に論理的というのもいささかおかしな表現ではあるが、そうとしか思えない人間が世の中にはいるのだ。私のように、論理的に考えるべき場だと判断した時だけガシャンとスイッチを入れている人間からすると、日々そんなに論理的で頭がすり減らないのかと不思議に思うのだが、どうもすり減らないらしい。だから、本能的に、論理的。羨ましい限りである。

 

 

体癖論、というものをご存知だろうか。

 

 

私はこれを、例のMBTIやらA3!やらを布教してくれた友人から教わった。

(↓その記事がこちら。)

oha-k-arin.hatenablog.com

 

知らない世界を教えてくれる人というのは、大変貴重な存在である。だから私も、自分が面白いと感じたものは、できるだけこんな風に紹介をしたいと思っている。いつ、誰の心の琴線に触れるか分からないし、それがもしかしたら、いつか、何かの転機になるのかもしれないから。何にせよ、出会いの間口は広い方が良い。

 

 

 

話は戻り、体癖論である。めちゃくちゃざっくり言うと、身体のクセや動きのクセから、身体の構造、ひいては感受性を分析しようという試みである。感受性って何?と思ったそこのあなた。私も分かりません。とりあえず性格、思考癖だと思ってください。たぶん違うんだけど、とりあえずね。きちんと知りたい人は、ぜひ提唱者である野口晴哉さんの著作「体癖」を読んでみてください。難しいらしいです。ちなみに私は読んでいません。要するに私は体癖論ビギナー。理屈について知りたい方は、他を当たってください。私のブログに正確性はありません。

 

 

友達から聞いたは良いが、なんせ分からん。し、当初はそこまで興味があったわけでもない。なんだけど、激安価格で有識者に診断してもらえる機会をたまたま発見しまして。なんかオモロそう、という直感だけを頼りに、申し込みをし、診断してもらうに至った訳です。

 

 

でね。

 

 

まあ、なんとなく合ってそうだなとも思うけど、私は身体の癖が性格に現れるっていう、その仕組み自体が分からないから、それが本当に合ってるかどうかなんて分かりっこないんですよ。面白いのはその後。

 

「自分にない体癖の人が得意な動きを練習してできるようになれば、他の体癖の人の考えも分かるようになる」

 

 

…なるほどね‼︎そう来るんだ‼︎

 

 

つまり、性格が身体に現れるとか、だから身体で診断できるとか、そういうことではなくて、そもそも身体そのものが人の考え方を形作っているという。だから知識を詰め込むとか、色んな人の考え方を知るとか、頭で理解しようとするんじゃなくて、身体で他人を理解する。

めっっっっちゃ面白くない⁇その発想なかったわ。

お芝居でもさ、「この役はこういう姿勢、動きするかも、こういう癖があるかも」とかって役作りもできるじゃない。それって、見た目だけ整えてるとか形だけってわけじゃなくて、自分の普段の動きと違う動きを体に染み込ませることで、違う人格が立ち上がってくるって考えると、また違う世界が見えて来るというか。

 

 

私に関して言うと、一緒に診断を受けた、ある程度体癖の知識がある人は、話をしないうちに「1種か2種っぽいよね」と口を揃えて言うんです。何かっていうと、理屈か空想。どちらも頭の中で完結して行動しない。それって、私がある程度意識して表に出そうとしてた部分。で、実際診断すると、1種2種+3種8種9種。(あ、全部で10種類あるんですけどね、大体みんな3つくらいあるんですって。だから、全く同じ人はいない。分析であって分類じゃないのです。)自分がそう見せようとしてきた部分って、自覚なく身体の癖にも出て、見た目にも分かりやすくなっていくのかしら、なんて思って。面白いなぁ。

 

 

最後に、わいわいとみんなでお喋りする時間がありまして。お弟子さんたちはめちゃくちゃその体癖の先生を慕っていて、先生から言われた自分の感受性の課題を克服しようとしているんだそうで。そんな話を聞いたから、ふと尋ねてみたくなりました。たまたまその先生に話を振られたので、思い切って聞いてみた。

 

 

「私の課題ってなんですか?」

 

 

…会って数時間の人に。ほとんど会話もしていない人に、そんな問いかけ。

 

 

ちょっと試してみたい気持ちもありました。一体どんな答えが返ってくるのか。今日会ったばかりのこの人に、私の身体はどう映るのか。知るか!ってバッサリ切られるかと思っていたら、とっても丁寧に答えてくださいました。

 

 

「今できることだけに捉われないっていうことが課題。今知らない自分に対してもっとオープンになっていけるかどうか。それは色んな出会いとか色んな人から引き出されるから、そこに対してもっとオープンマインドで、分からない自分を楽しんだ方が良い。頭で考えないで、それをもっと味わうのが課題。」

 

 

どこをどう見て、どういう理屈でその言葉が出たのか私には全く分からないし、それを知りたいとも思いません。ただ、今の私に必要な言葉であることは確か。私は体癖どうこうではなく、これを聞くために今日ここへ来たのかもしれない。そんな風に思いました。

 

 

きっとそれは、誰にとっても同じように重要なこと。

 

 

だけど、それを私自身が課題に思っているからこそ、こうして人の口を通して聞けたのだと思います。

 

 

論理的じゃない「かもしれない」。

意外と分かりにくい「かもしれない」。

几帳面なところがある「かもしれない」。

 

 

自分のことなんて分からない。考えたって分からない。人を通して自分を見る、だけじゃない。人にぶつかって見える自分がいる「かもしれない」。

 

 

どうせいつかは死ぬんだから。知らない他人も、知らない世界も、知らない自分も。たくさん知って、たくさん経験して、死にたいよね。そう言い聞かせてみても、頭はごちゃごちゃ考えちゃうんだけど。それもまた、自分ってことで。面白いよね、人間て。

 

 

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小さな劣等感と、小さな才能。

継続は力なり、という。

 

 

その「継続」というのは、努力で成し遂げられるものではなく、一種の才能ではないのか、と、継続できない私は思う。

 

 

これは逃げか、言い訳か、それとも正当な主張か。

 

 

継続できない、というのは、「色んなものに興味を持つ」という長所だと、言い換えられることがある。だが本当にそうだろうか。世の中には、色んなものに興味を持ち実践しつつ、継続している人間というものが存在している。つまり、その2つは決して表裏一体なのではなく、単に継続できるか、できないかと、たくさんのものに興味を持つか、持たないかの、それぞれ別の評価軸であるにすぎない。

 

 

ただ、「継続できない」がマイナス評価かというと、それは違うような気がする。あくまで継続できる人がプラス評価なだけであって。

 

 

生きてるだけで、プラスだと思いたい。何かができないからといって、減点していくなんて寂しくないか。自分も、他人も。何かができれば加点すれば良い。どんなに小さなことであったとしても、それは一種の才能だ。できない自分は、そこに加点がないだけで。マイナスになんか、しなくて良い。そこにいるだけで、人はプラスだ。

 

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タロットカードの中の、私のお気に入り。

重め、難しめな下書きがたくさん溜まってきて一つも書き上がらなくなってしまった。

 

 

でも書きたい気持ちはあるので、頭空っぽにして、書きたいことだけ書き連ね。長めのTwitter

 

 

タロットカード。カードそのものには良いも悪いもないのだけれど、個人的に好きなカードはいくつかある。そうだ、好きなカードの紹介をしてみよう。

 

 

大アルカナでは愚か者、魔術師。小アルカナではワンドのペイジ、ワンドの5、カップのA、カップのペイジ、ソードの7。

その時々で惹かれるカードもあるんだけれど、ずっと好きなままなのはこれくらいかな。これから変わるかもしれないけれど。

 

 

魔術師のカードは、0から1を生み出すカード。

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材料はそろっている、あとは動く。なんというか…1番、私の「お守り」でいてくれるカード。別に何かすごいものを生み出せるわけではないのだけれど、何となく私らしいというか。

それでいくと女教皇の方が「私っぽい」カードだと思うんだけれど、そんなに惹かれない。

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私の、あんまり自分で好きじゃない部分を象徴しているから、かもしれない。魔術師は、私の好きな私。単に「魔術師」っていうワードに惹かれているだけかもしれないけれど。錬金術とかカッコいいよね。厨二だな。

 

 

愚か者は、なりたい私。

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タロットを知らない人からすると、「愚か者になりたいってどういうこと?」って思うと思うんだけど…。さっきの魔術師は1番で、0から1を生み出すカードなんだけど、愚か者は0。空。何もない。トランプのジョーカーの元になったカードって言えば、それだけでなんとなくイメージ掴めるんじゃないかな。何者でもないから、何者にもなれる。真っ新。可能性は無限。そう聞くと、人気者なカードって感じがしてきませんか⁇まあ、あくまでスタートなので、何者にもなれなければ意味がないって考える人もいるでしょうけど。でも私は、いつだってどこへも行ける、何にでも変身できる身軽なこのカードに、心底憧れているのです。

 

 

ワンドのペイジは、便り。

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良い知らせ。メッセンジャー的な意味合いがある。あとは、未熟ながらもやる気がある若者、的な感じかなぁ。あ、ワンドは意志、ペイジが修行者・若者・未熟者、ね。これは意味とかあんまり関係なく、この人の絵が好き。なんかちょっとオシャレじゃない?知らんけど。でも、この絵が好きなことにも、もしかしたら意味があるのかもね。

 

 

ワンドの5は、意志のぶつかり。

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5が、変化・不安定を表します。各々の意志や正義でもって、チャンバラごっこ、つまり侃侃諤諤議論をしている訳です。たぶん私の大学の同級生は「ああ、かりんだな」ってなると思う。意味もだけど、見た目の賑やかな感じも好きだったりする。

 

 

カップのAは、直訳でいくと感情からの始まり

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好きからの始まり、と言うと分かりやすいかな。鳩がいて、水が溢れていて、楽しそうで。始めたい気持ちが思わず溢れて始める、みたいに見える。私の中では、Aの4枚のうち1番絵が賑やかだと感じるカード。これも多分、見る人によって感じ方が違う。理想の「始まり」だなと思うから、私は好き。

 

 

カップのペイジ。可愛い。以上。

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ペイジ本人も可愛いし、飛び出た魚も可愛い。服も可愛い、というか、あんまりタロットに出てくる人の中にない色合いの服な気がしていて。意味的には空想、感覚。あとはペイジなので、未熟っていうのもある。未熟な感情故の発想の豊かさ、みたいなことかな。意味も好きだけど、それは後付け。とにかく可愛いカード。

 

 

ソードの7。

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ソードの中で黄色の背景は他にないので、鮮やかで目を惹く。剣を2本忘れているし、顔と足の向きが反対。だからうっかりとかそそっかしいとか、良くない意味も多いけど…とっても私っぽい笑。ちゃっかりとか、適当にうまいことやるとか、そんな意味もある。なんせ背景が黄色だからね。黄色の意味は祝福、豊か。だからなんやかんやで上手くいくカード。でも横着しなけりゃもっと上手くいくカード。私にとっての「忠告」的カードかもしれません。でもお茶目な憎めなさが大好き。

 

 

そんな感じかなぁ。書いてると、しっかり一枚ずつ紹介したいような気もするけど…。多分1から!ってやるとまたやる気を失くすので、気が向いたら気が向いたカードから書いてみようかな。気が向いたら、ね。

 

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お初のシューズと、お初の瞑想の、行く末は。

ここ最近、ブログをこちこち書いておりましてね。アップしたやつ以外にも、書きかけのものがたくさん溜まっております。

スマホアプリで思いついた時にメモ程度に書き残していることが多いのですが…。やっぱり、ブログはPCですね。よし書き上げるぞ‼︎と気合いを入れて立ち上げると、案外スッとまとまったりなんかして。画面が小さいと、前後の流れをスクロールしてあちこち確認しないといけないのが進まない原因のような気がします。スマホは気軽に残しておけますが、まとまったら量書くのは私には不向きなようです。

 

そんなわけで。

 

先週は、なんだかとても頭を使っておりました。仕事行って、帰ったら書いて。ブログは好きでやっているので全く苦ではないのですが、頭を使うことなのでそれなりに疲れはします。年がら年中ゲームできる人とかすごいな、と思う。あれもジャンルによっては結構頭使うと思うんだけど、疲れないのかしら。私は、たとえ趣味でも頭使ったら疲れます。集中してる最中は良いんだけど、切れるとバランスを崩す。先々週は振付だったり芝居のことだったりを考えることが多くて、でもあれはそれだけでバランスが取れている気がする。考えることも多いけれど、身体を動かすし、台本も理論じゃなくてイメージの領域なので、そんなにどっと疲れたりはしない。

 

金曜は久しぶりにヨガにも行ったのですが、時間的に難しいコースしか空きがなかったので、ポーズの理解のために余計に頭を使った気さえする。本当は土曜は久しぶりにカラオケに行くか、家に引きこもってもう少しブログを書き続けようかと思っていたのだけれど、なんだそんな気分でもなくなってしまった。このまま来週を迎えるのはなんだか嫌だなぁ。手っ取り早く戻す方法は…。と思い、とりあえず頭を空っぽにしてタロット2枚引き。「今日1日の行動指針は?」

1枚目はおすすめの行動、2枚目はおすすめじゃない行動っていう超単純なスプレッド。

1枚目はペンタクルの5。ペンタクルは物質、5は自由・変化を表します。よくカードの説明には「不幸、喪失」とかって書いてあるんだけど、これ理由があって。物質的なものが自由になると、失うよねってことなんです。これが逆位置になると物質が自由になっても自分が持っているものに気づく、つまり精神性、信仰とかになるんです。ストレートに取ると物質の自由・変化が、私の今日の行動指針。2枚目は大アルカナ「世界」の逆位置。世界は完全、完結を表します。その逆位置。逆位置って色んな解釈があるんだけど、正位置のエネルギーがうまく活かせていなかったりマイナスに働いている状態。私は1枚目の「5」という数字と合わせて、この世界を「停滞」ととりました。動かず今の状態で完結して停滞して変化がない、みたいなね。

 

この2枚から、私的解釈でのこの占いの結果は「外に出よう、動こう、ついでに金使おう‼︎」となりました。別にただの占いなのでその通りにする必要はないのですが、家でじっとしてても頭がぐるぐるするだけのように思えたので、とりあえず出かけることを決定しました。さあ、どこへ行こうか。

 

 

そういえば、昔からずーーっとパワーストーンのお店気になってたな。一時期流行っていて、パワーストーンのブレスレットをつけている友達が何人かいたことを思い出しました。一本くらい持っていても良いかもしれない。数珠みたいなもんだし、長いことつけると思えばそんなに勿体なくもないだろう。なかなか良いお金の使い道だぞ。よし、行ってみよう。

 

そうと決まれば早速検索。Google mapsで一番に出てきたお店に即決。東西線 京都市役所前駅から徒歩10分ほどのところにある、クロージョーアイズさん。道中にHP見ていると、今日は月に2回の瞑想ライブがあるとのこと。瞑想なのに、ライブ⁇え、何それ面白そう‼︎興味津々でお店へ…といきたいところですが、道中これまた面白そうなお店があったので、ちょっと寄り道。(どうやら本題まで、まだまだ時間がかかりそうな予感ですよ。)

 

よく分からないド派手な手帳に目を奪われて入ったのは、PERMANENTE(ペルマナン)。自転車やら手帳やら香水やら置いてあって、何のお店?って感じだったんだけど、ヨーロッパの雑貨を置いているセレクトショップなんだそう。真っ白い店内にカラフルなコーナーがあったり、真っ黒なコーナーがあったりと、言われてみれば確かにヨーロッパっぽい。知らんけど。そんな中、私が1番気になったのがスニーカー。編みぐるみみたいなのがくっついてて、個性的でめちゃめちゃ可愛い‼︎‼︎昔から柄とかモチーフがついてるポップなスニーカーに惹かれがち。でも靴って頻繁に履くものだから、合わせる服を選ぶようなものは買いづらい。安ければそれでも良いけど、個性派スニーカーはそれなりに良いお値段するものと相場が決まっている。それに、自分の気にいる理想の派手さ具合、ガチャガチャ具合って、値段抜きにしてもなかなか見つからなかったりする。ただ派手が良いというわけではないのだ、一応。

 

そこへ、ドンピシャタイプなスニーカーが現れたわけですよ‼︎うわ欲しいな。

ソワソワと眺めていると、店員さんが「履いてみますか?」と声をかけてくださいました。なんと表面は手作業で編まれているんですって。海外のものなのでサイズ表記がよく分からなかったのですが、普段のサイズを伝えたら中からいくつか出してきてくださいました。あまり伸びない素材とのことで、履く時にはちょっと手間取るのですが、履いてみるとピッタリ。ちょっとダンスシューズ履いてる感触と似ているかもしれない。底は普通に硬いから足が自由に動くってわけではないんだけれど、足の甲だけピタっとフィットしてる感じかな。そして何より可愛い。色んなデザインがあってどれも可愛いんだけれど、私が選んだのは白地に目玉とキノコがくっついているやつ。余裕で普段履きできそうなのに、ちょっとした遊び心って感じで馴染みすぎなくて。左右非対称なのもとても良い。

これはもう買うしかない。いやこれ絶対高い。分かる。だって店頭に値段表示一個もないんだもん。でも値段見る前からほぼほぼ気持ちが固まってしまいました。頭をよぎったのは、花より男子にも出てくるパリの言い伝え。「素敵な靴は、あなたを素敵な場所へと連れて行ってくれる」初めてこれを聞いた時、パリっていう場所のイメージとも相まって素敵な靴=有名ブランドの綺麗なパンプス、みたいなのをイメージしてたんだけど、それってあんまり私の好みじゃなくて。でも今思うとそうじゃなくて。多分素敵な靴って、履き心地とかデザインとか色々ひっくるめて、履いているとワクワクしてどこへでも行きたくなるような、自分にとっての「素敵な靴」なんだろうなって思うんです。そう、自分にとっての、ね。こんなに気に入って、履き心地も良い靴、次いつお目にかかれるか分からない。そしたらもう、買う以外選択肢ないなって。

 

目的地に辿り着く前に大幅な出費。でもそれ以上に心はホクホク。他に置いてある物も気になるものいっぱいだったし、お店の人とも楽しくお喋りできたし。「買う物なくてもまた遊びに来てくださいね。」って言ってもらったので、遠慮なくウィンドウショッピングできるぞ。今回はタロット上手に読めたのかもしれないぞ。従ってみて正解だったな、なんて。

(後から知ったのですが、この靴、イランの伝統技術と創造性の融合、女性への職提供と社会的自立なんかを背景としているブランドだそうで。巡り合わせだよね本当。)

 

さあ、寄り道を終えてやっと目的地へ。

 

お店に入ると、いーーーーっぱいのパワーストーン。おわ、壮観。めちゃくちゃときめく。お店の人にも相談に乗ってもらいながら、散々迷って最終的にブレスレット2本を購入。まずは情報を入れずに値段も見ずに直感で5本選んで、と言われて、選んだ石の意味を教えてもらったのですが、なかなか面白い並びになりましたよ。タロット占いとも似てるなぁと思いました。選ぶものには、今の私が映っている。そう、映るんですよねぇ。物だけじゃなくて、現実世界にも、ね。ふふ。でもそこに映っているのは、今の私だけ。ふふ。

 

 

さあ来ました。やっと本題ですよ。ここまでで3000字超え。長い道のりでした。

 

 

お店の雰囲気が浮世離れしすぎず、良い意味で「普通」な雰囲気でとても楽しかったので、予定通り瞑想ライブにも参加させてもらうことに。(これで参加しなかったら完全にタイトル詐欺。)

 

 

実は、全くの瞑想初挑戦かというと実はそうでもなくて。(おや、結局タイトル詐欺か?)ヨガの最後に、ほぼ毎回「安らぎのポーズ」っていう、寝っ転がるだけの姿勢をするんですね。あれ多分、軽い瞑想的な意味合いのものだと思うんですよ。ただ、身体動かした後だからか毎回眠くなる。なんならガチで寝落ちしたこともある笑。だから、瞑想だけに集中するという意味では今回初めてなのです。(だからギリタイトル詐欺じゃないはず。)

 

畳の上に楽な姿勢で座る。一人一つずつ、自分の前にキャンドルの火が置いてあります。正面には、これまたキャンドルの火がいくつか。その後ろには、演奏者さん。そうそう、これ一応ライブなんですよね。忘れてた。そのまた後ろにはスクリーンがあってなんかいい感じの写真が投影されていました。

 

まずは店長さんから、瞑想についてのちょっとしたお話。何だか、地元の盆祭りの時にお坊さんから聞くお話を思い出しました。瞑想のやり方は、至ってシンプルです。火を見ながら、心を無にする。まあこの「無にする」というのが、とても難しいことなのだけれど。雑念は湧いてくるものなので、それが思い浮かんできたことは気にせず、受け流すように、とのこと。あとこの日は半月だったのですが、精霊の声を1番キャッチしやすいんですって。(満月と新月の説明もあったけど忘れた。)精霊、ねぇ?ふふふ。なかなかどうして、面白い日である。ちょっとよく分からんが、まずは実践あるのみ。

 

演奏者さんにバトンタッチして、ここから演奏。演奏と言うけれど、音楽っていう感じではない。強いて言うなら、ASMR的な感じ…?てっきり自分の前の火を見るのかと思ったら、正面に置いてある火を見るらしい。大人しくその火を見ること数分…。眠い。どうしようもなく眠い。あ、起きなきゃ!ってハッとすると、その「起きなきゃ!」が雑念じゃないですか。で、それがなくなってくるまた眠た〜くなってウトウト…。あと眠いのに目見開いているせいか、一点をずっと見ているせいか、尋常じゃなくコンタクトが浮いてくる。しばらくして、ふとスクリーンに目をやると、文字が書いてありました。「close your eyes」あ、これ目閉じてて良かったの?閉じると余計にうとうと。頭もゆらゆら。半分寝ている情緒で、でも不思議と音は聞こえています。ああ、そういえば死ぬ時って、聴覚が最後まで残るんだっけな…。なんて考えていると、時々目の覚めるような「カーーーン」という音が聞こえます。ファンタジー映画の空間にいるような、不思議な気分。ふと、草原見えた気がしました。おお、ついに夢まで見始めたぜ。おもろ。終始睡眠と覚醒の狭間を彷徨っているうちに、1時間の瞑想タイムが終了しました。

 

 

感想。

 

 

瞑想って何????

 

 

いや、でも分かったような気もする。寝る前や起きてすぐに自分のなりたい自分を思い描くと良い、という話を聞いたことがある。これはただの言い伝えでも不思議話でもなんでもなくて、脳科学的にそうらしい。人間が自分で意識できる部分は全体の2割ほどで、まさに氷山の一角。意識できない8割をどう使うかで、脳のパフォーマンスが変わってくるという話だ。最近は色んなところで聞くから、有名な話かもしれないが。この潜在意識にアクセスするのに、1番良いのが寝る前や起きてすぐ、つまり睡眠と覚醒の間なのだ。瞑想は、その状態を意図的に作り出していると言える。私は不思議なものが大好きだけれど「瞑想して宇宙と繋がる」とか「瞑想で精霊の声を聞く」とまで言われると、それをそのまま信じているわけではないし、なんなら若干引く。でもこれは要するに、自分の潜在意識と繋がって、自分が潜在的に感じている思いだったり望みだったりをキャッチしていると考えると、そんなに違和感なくスッと入ってくる。でもその「自分が潜在意識で思っていること」をキャッチした時に「自分が潜在的に持っていた思いを受け止めて行動する」ということを自分の責任において決めるのは、時には重たく、大変なことだったりする。それが普段の自分と乖離していればしているほど、特に。そんな時に「宇宙がそう言っている」「精霊に言われた」ことを理由にしてでも、とにかくそちらに向かって行動してみる、というのは、とても理に適っているというか、賢いやり方なのではないだろうか。「何かのせいにせず自分で責任を持て」という言葉も聞こえてきそうだが、何かのせいにして行動しないよりは、何かのせいにしてでも行動を起こしてみる方が、よほど建設的なような気はする。まあ、その行動が向かう結果に対して自分だけが責任を負うということは、どちらも同じだけれど。

 

 

 

「精霊のお告げ」とやらを聞いたところで、そのお告げを実行するかどうかを決めるのは、自分でしかないのだから。

 

 

 

脳というものは非常に面白いものでして。そんなつもりで出かけた訳では全くなかったのだけれど、無意識にアンテナを張っていたみたい。

 

 

 

彼女は本当に、見ているだけなのだ、きっと。ただ見ていて、時々声をかけてはみるけれど、それだって最後の判断は自分。彼女に映った自分を見てどう行動するのか。それを、彼女はただ面白く、ほんの少しの期待を持って、見ているだけ。彼女は私。私は彼女。彼女は誰でもあって、つまるところ私は誰でもあるのだ。今の私は、彼女にどう映るだろうか。彼女は、私は、どう変わっていくのだろうか。禅問答な半年間になりそうだ。

 

 

 

8月26日(土)。ミュージカル「幸せの青い鳥」。きっと、面白い作品になりますよ。します。チルチル・ミチルたち兄妹と共に、幸せを探しに行きましょう。私も、喜んでお供いたしますよ。来てね。

 

 

 

…家に帰ってから気がついた。「close your eyes」「クロージョーアイズ」………

スクリーンに映ってた文字、ただの店名やった。指示じゃなかった。目閉じたらあかんかったっぽい。そら目閉じたら寝るしかないよね。やっぱり瞑想はよく分からん。

 

 

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